ファンド観測:結い2101(2013年2月)2013年03月19日

鎌倉投信が運用する『結い2101』の2013年2月の模様を振り返ります。
参考資料は結いだより第36号です。(→ こちら

また、結い2101は3月1日に純資産総額30億円に達しました!おめでとうございます!

【今月のいい会社紹介】
今月のいい会社は先月組み込まれた未上場の会社「ウチヤマホールディングス」です。
北九州を中心に日本全国で介護事業を展開している会社です。ウチヤマホールディングスの介護施設では来場者のアナウンスやウェルカムボード、館内の案内なども全て入居者が行なっています。更には社員さんと一緒に朝礼も行ったり結びつきが強いのも特徴です。
ウチヤマホールディングスでは社内報をHPでも掲載していますがこれもまた読み応えある内容です。

【2月の売買動向】
2月も新規組入れは行われませんでした。株式への投資比率は61.0%→59.3%と更に減少しています。
東証一部に指定替えしたアイ・ケイ・ケイを株価上昇に伴い売却した反面、株価が下がったタムロンの買付けを行なっています。

【結い2101の日次リスクの推移】

250リスク(日次)は7.17%と先月(6.84%)比で微増しています。
キャッシュ比率を上げてリスクを抑える運用はしていますがさすがにちょっとずつ上がってますね。

【結い2101の資金流入出状況】
今月も安定的に資金が流入していました。

【2013年2月現在の組入れ銘柄など】

【概要】
 過去1ヶ月  1.48%
 過去1年   11.89%
 過去2年   18.01%
 純資産総額  29.67億円
 組入銘柄数  40(前月比変わらず)
 株式比率   59.3%
 債券比率   3.3%
 現金比率   37.4%

トークイベント「事業者が語る被災地の今」斉吉商店2013年03月19日

新丸の内ビルで3月15日(金)まで開催していた連続トークイベント「事業者が語る被災地の今」の3月8日(金)のゲストは斉吉商店の斉藤和枝専務でした。

被災地では復興に向けて必死にやっているが故に疲れが出始めているというのと、これまで海の近くに戻るという事にこだわっていたけれどもそれは間違いだと気づいたという言葉が印象的でした。


当時のことを思い出していましたが4月の初めにはミュージックセキュリティーズさんには気仙沼に来ていただいていました。
まだ倉庫を事務所兼住居としていた泥だらけのところでほっかぶりと長靴でどうやって再建しようかと考えているところに東京から何度も足を運んでいただき事業計画を作りました。
思えばあれが幸せの始まりでした。

斉吉商店は震災前から個人向け販売を半分くらいしつつ業務用を徐々に減らしていました。
お客様には田舎っぽい生活を喜んでもらえるとおぼろげながらに感じていました。

ファンドを通じて投資をしていただいた方とこんなに繋がりが持てて、まるで親戚のようになれました。
他のお客様も私たちのことをよく見てくださってオープンにすることでつながりが持てました。
これはファンドを通じて知ったこと。今ではそれを柱に考えるようになりました。

お客様は今や私たちの隣でものを言ってくれる存在です。
震災前はこんな世界があるなんて考えてもいませんでした。お客様と直接つながるビジネスモデルは農林水産省と経済産業省の国の認定事業にもなりました。
それにより専門の人を紹介してくださることになりました。

5月にファンドの説明会で東京に来ました。
泥だらけのパンプスを洗ったけれどもどんどん泥が出たのでそれで家を出ました。
それまでは長靴だったので気仙沼で靴を履くなんてと思いながら少し浮き上がる感じで。
キラキラした仙台の駅ビルで新しい靴を買って履き替えてから東京に来ました。
説明会では9月からの再開を皆さんに約束しました。その時期になるとさんまが来るから。

でも7月になっても仮設の工場は建たず役所の方も一生懸命やってくださっているもののどうしようもならない。当たってもダメな時はしょうが無いと社長と町の中をうろうろしていました。
どっかに工場はないかとうろついていた時に以前お世話になった水沢の会社にお願いすることを思いつき、タレをもってなんとか商品をOEMで生産して欲しいとお願いしに行きました。

そうしたらそんなに大事な商品なら自分たちで作れと言われて工場を貸していただくことに。
工場を借りるということは何かあっても工場のある会社の責任になるということ。そんな大事なことを迷惑はおかけしませんという紙一枚で請け負って下さった。
2ヶ月工場をお借りして投資家の皆さんに金のさんまをお送りして9月には伊勢丹で販売しました。

しかしいつまでも工場は借りられないとまたウロウロしていたらカット野菜の工場の一部を借りられることになりました。

震災から一年後にやっと自分たちの工場がたちました。
この嬉しさは末代まで伝えていきたいです。
商品だけは大事に作ってお届けしたいと思っています。

二年たった現在の課題はまだ先がわからないことです。
嵩上げが終って街のインフラができるのを待っている状況で行政に抗うのではなく足元を丁寧にやっていきたい。できないことはキリがないのでできることを見つけるようにしています。

前のことは忘れるように社長に言われました。
前はこうだったのにというのは社内では禁句。新しく起業したと思うようにと。
そうすることで社内は不足を言わずにまとまっていられています。
工場、店舗、事務所がバラバラだったのが一箇所になったことで朝礼も一緒にできるようになってみんなで一緒に話せるようになって一つになったと思います。

また、ノウハウが足りていません。
通販やお客様データの管理の方法などについて。
ネットを使えない人にどうアピローチしていけばいいのかなど。

東北にもともとあった問題を解決する必要もあります。
地元は疲れが出てきています。
これまで復興するんだと責任感で一杯だったために。
私はやりたい放題でストレスと発散できているがここから二三年がつらいのではないでしょうか?
今日は笑ってというのが大切なのでは。自分たちが自分たちの足で歩まないといけない。
みんなの気持ちが楽になってくれるといいと思います。

そうそう復興は進まないと聞いています。
阪神大震災の時は10年、新潟の時も7年かかったと当時の被災者にお聞きしました。
前と同じようにと話が進みがちだけれども、まずは気持ちが元気に暮らせるように。
小さい幸せを大事にするように・・・。震災直後はそうだったけれども今はあっちとくらべて自分のところは・・・という話も出てしまう。

ばっばの台所というのを作りました。
今まで気仙沼の人は大きな家に住んでいたので仮設住宅の台所が狭いという不満を良く聞いたので大きな台所を。

倉庫の予定でしたが家庭科室のような台所にして郷土料理をおばあちゃんから習ったり一緒に御飯を食べたりしています。海鮮丼の店を出す予定もあったけれども市場の近くの臨場感が必要だという事で今はちょっと空気感が違うと感じました。

小学生が工場見学が出来ないからとやって来るようになりました。
最初は大変だと思っていましたが、つみれを作って食べてみると秋刀魚を食べたことがない子供がたくさんいました。気仙沼の子供なのに!

子供達はつみれのちっちゃなかけらをじゃんけんで食べる子を決めたりきれいに食べてくれました。
そうして子供がサンマを食べた話を聞いておばあちゃんや母親がサンマを買いに来てくれたことが嬉しかったです。これまで子供にサンマを出しても手を出さないので食べないのだと思っていたけれどもこれからはサンマを食べさせるようにしますと言ってくれました。

他にも虎屋さんとほぼ日さんのコラボであんこのワークショップをやったり。
Ustreamは2万人が見てテキスト中継も行われました。

以前は前の場所に戻る気持ちがありましたが、今は間違いだと思うようになりました。
デフレの正体を書かれた藻谷浩介さんとお話させていただいた時に気が付きました。

海のそばに住んでいても海が見えていたわけではありませんでした。
高台に住んで海を見ればいいんだと気が付きました。
海にこだわるが故にそばにいたいと思っていましたが間違いでした。

嵩上げ後はちゃんと避難道や防潮堤が出来ているのか見てそれから判断したいと思います。
昨年12月に津波警報が出て避難してといった時のみんなの顔を思い出すと工場をあそこに作るという事はできません。
被害の出ないところに工場を建てたいと思います。