NPO法人いい会社をふやしましょう 第二回「いい会社の力」シンポジウム(1) 基調講演 西水美恵子氏2013年06月08日

6月1日にNPO法人いい会社をふやしましょうの第二回シンポジウムに行って来ました。
『国をつくるという仕事』『あなたの中のリーダーへ』を読んでいたので元世界銀行副総裁の西水美恵子さんの講演が聴けるのをとても楽しみにしていました。
基調講演では西水さんの静かながらも心に訴えかけるパワースピーチに心のスイッチをぎゅうぎゅうに押されました。講演が終わった後の割れんばかりの拍手は会場にいた皆さんが同じ気持ちで心から拍手を送ったものだと思います。講演を聞いてここまで打ちのめされた気分になったのは初めてかもしれません。
とにかくすごい体験でした。

第二回「いい会社の力」シンポジウム 本物のリーダーシップ
基調講演 :本物のリーダーシップ
講 師  :西水美恵子氏 ソフィアバンク シニア・パートナー/元・世界銀行 副総裁
日 時  :2013年6月1日(土) 11:00〜14:20
場 所  :東京大学伊藤謝恩ホール
主 催  :NPO法人 いい会社をふやしましょう(→公式HP



「この世で不変なものは変化のみ」


ブータン先代国王 雷龍王4世の言葉です。
当時、世界銀行は大きな危機にありました。「50年でもう結構」という世銀を批判する世論にさらされていたのです。原因は草の根から遠く離れた世界銀行職員の仕事意識にありました。陛下に謁見していなければ挫折してリーダー失格となっていたと確信しています。

私は副総裁に就任したばかりで官僚的な組織文化を変えようと動き始めたばかりでしたが、組織内からの猛烈な反対やいじめ、いやがらせに悩んでいました。仕事意識を変えるのがどれほど難しい事かくじけかけていた時に謁見する機会に恵まれたのです。

雷龍王は在位34年間、自分がもし悪い王だったらどうするのだ?と国民の支持が熱い中で絶対君主の座を自ら放棄した方です。その信念、本気の勇気にふれた瞬間、私はこの世に怖いものはなくなりました。国も地域も組織も人間がつくっているものであり、即ち人づくりに尽きるのです。一人一人の成長が社会的な変革を生み出すことに繋がります。

私は自分がいなくなった後でも世銀になんらかの形で成長し続ける種をまく事を自分のミッションとしました。貧困解消をミッションとする世界銀行はいい国づくりをしようとするリーダーの補佐に徹する立場です。世界中のリーダーが私の先生ですが、その中でもただ一人の私にとってのメンターが雷龍王4世です。
今日の話は自分自身の人としてのあり方を重ねながら聞いてくれるとうれしいです。

世のため人のためと動くリーダーはまず自分に真っ正直です。バカがつくくらいに。そして、必ずなんらかに対して危機感を持っています。
絶対に小さなことも見逃さない、本気の危機管理が求められます。

国民総幸福という概念を考えたのも雷龍王4世です。
先週末にお会いしてきましたが、「いつの世も不幸な民が国家を不安定にする」「国民が幸福を追求することを可能にするという哲学で国を治める事は常識だ。当たり前の事をしてなぜ騒がないといけないのか」とおっしゃっていました。

そのような国政の動機はブータンが独立国家として末永く続くための危機感から生まれています。
ブータンの面積は約4万平方キロ。ほぼ九州と同じくらいの広さに東京の5%の人口が住んでいて北にチベット、東西南はインドと接していて世界1、2位の大国に挟まれています。
日本のように大洋に囲まれた国土に1億数千万人が暮らしている人にとって小国が大国に囲まれる事による危機感はわかりにくいと思いますが、雷龍王は「虎と象に挟まれた蚊のようなもの」と話されています。

国民の幸福を目指すのはブータンが生き残るための戦略でそれは即位直後から行った行幸で学んだものです。国王の行幸といっても想像するような楽なものではありません。ブータンの国の南側は海抜150~200mの亜熱帯ジャングルに覆われていますが、北は海抜7000m級のヒマラヤがそびえています。南端から北の端まで直線距離で約200kmしかなく、東京から越後湯沢くらいの距離しかありません。

南から北まで短い間にジャングルからヒマラヤ山脈まであっというまにせり上がりながら激流に刻まれた険しい土地ばかりで平らな土地はありません。そのような土地に1平方キロに17~8人程、日光が届く山肌を求めて散らばり住んでいるのです。

高所で酸素の薄い中、即位当時17歳の雷龍王4世はほとんど野宿で過ごされました。
一人でも多く国民の心を聞きたいという若い王の謙虚な姿に打たれ、なかなか胸を開かないブータン国民が胸を開いて国王と話しました。村人はどこにいっても王を自分の家に泊め、食事や暖をとり、寝ずに話し込んだのです。国家安泰という問題の根元を見つめ続ける時、見つめる対象は国民一人一人の幸せなのです。

谷間を歩きながら雷龍王は我が国の民は物は貧しくても心は豊かだ。しかし、経済的な豊かさが来たらこの国は滅びるだろうと考えました。当時、日本は高度成長期の真っ只中でバブルの狂気に気づかなかった頃です。雷龍王は先進国が抱える病を見通したといっても大げさではないと思います。

国民総幸福量という考えは国家安全保障戦略として生まれました。
小国にはふさわしい戦略で、失敗を繰り返しながら追求し続けたものです。

私は陛下の真っ正直な危機感を知った時、雷に打たれたような気持ちになりました。
貧困解消の為に存在する世界銀行の危機を頭だけで知っていたんだと悟った瞬間です。
自分もバカ正直にならないとリーダー失格だとその時感じ、やるべき事をひらめいたのです。

世界銀行の職員がこの危機感を深いところで共有しないといけない。ハートで鷲掴みにしてもらう為には何をしたらいいか考え、王の行幸をお手本にする事にしました。
私もかつて草の根で家族扱いを条件にステイさせていただくという体験をしていますが、これを世銀の職員にもしてもらうのです。

二つ目の教え リーダーシップはチーム精神

本気で動くリーダーは驕りを知りません。謙虚さは自然とチームを欲するようになり、リーダーは本気で動くチームを育むのが大切です。
ブータンから世界銀行のあるワシントンに戻り、貧村への住み込み体験を原点にすると発表したところミエコは気が狂ったと笑われましたが、一人だけわかってくれたのが民間企業出身の総裁でした。
彼は「お客様の目線というものをなりきるほど熟知しない会社は必ずダメになる。それは世銀も同じだ。だからやれ。」と言ってくれました。

総裁の後押しのおかげでやりたいことを理解してくれた部下数人が名前をつけてくれた。
VIP(Village Immersion Program) 貧村没入プログラムです。

第一回はパキスタンのNPOの支援をうけて実施しました。プログラムの実施にあたって寒村の理解を前提にしたステイだと説明にあがり、受け入れていただく家庭には更に詳細な説明を行いました。後日、村長から日程と受け入れる人数の連絡がありプログラムの参加者を決めることになりましたが、上司が変わらないと変わらないのが組織です。そこで、自分の部下の管理職は全員、一般職も男女半々を指名しました。
指名された人は様々な理由で行きたくないと言ってきました。「自分は貧村やスラムを視察してるから無駄です。」「自分はインドから来たからみんなより貧村の実態を知っています。」など・・・

彼らに同情はしましたが心を鬼にして参加しないならもう部下とは思わないと言いました。
それを聞いていやいや動き始める姿を見て副総裁の権力はいいものだと(笑)。
そんな風に思ったのは最初で最後ですが(笑)。

かわいい子には旅をさせろです。

1週間したら私が合流することになりましたが、合流するまで私は仕事が手に付きませんでした。
1週間後、夕方になると皆で集まって解決策を話し合っているという掘っ建て小屋に私が訪問した時、そこからは魂のどん底からくる笑い声が聞こえていました。彼らは挨拶そっちのけにエコノミストの課題はミエコにやってもらおうと言いました。そして続いて出てきた言葉です。



"This is not a life. This is just keeping body alive"
「これは人間が営む生活ではない。動物のようにただ体を生かしているだけだ。」



部下とボスが深いところで何かを共有できたと感じた瞬間でした。
私が初めてホームステイした時の報告の言葉の一部がそのまま帰ってきたのです。



お母さんは私に一日の仕事を話しました。
朝早く日の出前から水くみに出かけます。泉までは1時間。帰ってきてから子供たちと朝ご飯。お茶とパン一切れ。
ヤギに餌をやり、涼しいうちに畑仕事。自分で食べるだけの畑で売るほどの土地はない。
昼前に水汲み。昼の水汲みは暑くつらい。
お昼は子供にはお茶、自分は水。
午後は薪集めに。水があまってたら洗濯をする。夕方、三度目の水汲み。疲れて時間がかかる。
夕食は豆とパン。そして寝るまで話す。私はこの時間が好きだ。
これは人間が営む生活ではない。毎日毎日同じことの繰り返し。
君たちに想像できるか?毎日毎日死ぬまで繰り返し
これが私たちのお客様の暮らし。この生活を知らずに世銀で働く資格はない。
以前のミエコはもういない。



動かなければ死神が勝つ極貧の生活。
夢や希望などはなく、自分の時間が全くないのです。貧困解消をミッションにする世銀の職員は自分がどんなに無知だったのかを知り、罪悪感にうちのめされました。
「僕は何十年も何をやっていたんだ?できることなら時計を戻したい」とまで言いました。

そこから、自分たちで今どうにかしようという情熱が芽生えました。
専門分野が異なる12人からなるグループがお互いを思いやり、プロとしての観点を尊重して正直で率直な会話が始まりました。
1+1が2ではなく、万になるようなものです。
そこでは生きがいや働きがいが一致し、仲間との時間が待ち遠しい本物のチーム精神が芽生えていました。
目的は一つだけ。家族となった貧しい人々に仕えたい。サーバントリーダーが誕生しました。

ワシントンに戻ってからはチーム精神が飛び火を始めました。
部長、課長、局長が部下をVIPに送り出しはじめたのです。この体験を共有しない人とは仕事をしない、ビジョンが共有できない。嫌なら出て行ってもらうと本気で言いました。

類は友を呼ぶと言います。
その中には挫折者も出ました。こういうところにいたくないと去る人に対しては次の仕事の紹介もしました。

南アジア地域の予算会議が始まりました。
お金の奪い合いをする見苦しい会議です。でも、その時は様子が違いました。議長の私を無視してまず貧しい人々の目線から援助の大局を見直そうと部門を越えた会話が始まったのです。新しい戦略をたてて予算を0から組み直そう。部や局の境界線がなくなりました。

例えば教育部門の局長が村では水くみに一日のうち6-7時間を費やしていて自分の時間がない。
妊婦の健康管理のためにも読み書きが必要とインドの文部省も言っていたが、まず水道から整備してもらえないかとお願いするとうちの仕事じゃないそっぽをむかれた。そこで教育部門の予算の一部をインフラ部門にまわすので使ってもらえないかと。 

それに対してインフラ部門は確かに水道は大切だけれども水道では読み書きは教えられないよと答えます。
予算は局や部の境界にわけるのが無理だという事になり、チームごとに必要に応じてみんなでプライオリティ決めるシステムを作り上げました。

彼らから今までの態度が消えていたのです。これはVIP体験から半年後の出来事です。

3つ目の教え 逆さまになれ

世のため人のためと本気で動くため、人の身に真摯に重なることが大事です。
多様な人間の壁を越えて英知、信念と情熱の逆さま視点を育てなさいと言われました。

雷龍王の学友だった大臣が国王は若い頃から貧しい国民を思い、丸太小屋に住んでいたと話していました。
2700mのヒマラヤの麓に火の気なし住んでいたのです。草の根から遠いの位置にいたのでは悪い政治になると地方分権制度を進め、国王の持つ絶対拒否権を放棄しました。更には信任投票で国王をクビにできる国王弾劾法まで自ら制定し、自分で退位しました。

意識の変革が軌道にのりはじめたころ決心させてくれたブータンの王政は100年を迎えたばかりで民主化は雷龍王3世が1953年に即位してすぐに行われ、国会が開かれました。更に雷龍王4世は地方自治体をおいて国家公務員を地方に散らばせ自治体の育成に着手したのです。
1999年、ブータン2020プロジェクトが発表されました。
これは3年にわたって議論した結果出来上がった声明でこの中に国民総幸福という概念がありました。 

目標と手段を混同してはいけません。
経済成長が目標であってはいけません。
経済成長はあくまでも手段であり、幸福を実現するための非常に大切な手段の一つなのです。

幸せへの鍵はそれぞれ違うものですが、ある程度の消費満足と情緒的な満足からなっています。
幸福を可能にするために家族や友人を犠牲にするような経済成長は人間の住む国ではないという言葉から村人たちの声を聞いた思いがしました。私は組織の形を改革しようとした時にちょうどこのプロジェクトを読み、まず組織の草の根から編み上げるビジョンが大切と教わりました。

部下たちから私たちが夢見る世銀を作ったと一枚の絵が私に渡されました。
組織図がガラスの葡萄の房のように連なっており、お客様の房に部門ごとの実が重なり合いながらスカートを履いたミエコと書かれた女の子が走りながら抱えている絵です。

そうして組織の改革を始めました。
担当局長を現地に配置してほとんどの権限を委譲することにしたのに続いて現地採用をバカにするのをやめさせました。
これまで人事制度 職種、昇進、給与査定、休暇、退職金など様々な点で現地採用と本部採用の職員に格差があったものを現地購買力を給与査定に加味はするものの本部職員との無意識差別を消していったのです。
職員たちが嬉々として取り組んでくれた学習の毎日でした。

リーダーシップとは本気に尽きるのではないか?
そこからモノの尺度では貧しいが、豊かであるという国民との間に信頼が生まれます。

ブレのないリーダーと国民との絆。

私が雷龍王4世を師匠に世銀改革を始めたある日、優秀な女性職員が元気がなくなっていたのに気づきました。話を聞くと小学生の息子の成績が下がってしまい、海外出張をするたびにおねしょをするのが心配で世銀を辞めようと思っていると言いました。そこで私は出張に息子さんも連れて行ったら?息子さんの分の費用は副総裁費用から出すからと言いました。

ある日、小学生の息子から出張報告書が私宛に届きました。
そこには「お母さんが飛行機で飛び立った後のことがわかってとてもうれしい。インドの貧しい人のために頑張っているお母さんを僕は誇りに思う。自分もたくさん勉強してお母さんのようになりたい。」と書いてあり、泣いてしまいました。その子は出張についていった後、おねしょも止まり、成績もあがったのです。

この一件で世界銀行のビジョンを職員と頭で共有している一方で、職員が本当に欲しがっているものにつながっているだろうか?と気づきました。仕事が待ちきれない気持ちがある一方で、帰宅と週末が待ちきれない家庭も職員にはあるのです。
また私の本気のスイッチが入り、職員と家族の幸せも求めるようになりました。

この改革をどうやったらいいんだろうと熱く話し合い、すぐさまできることから行動を始めました。
プロフェッショナルとしての行動を妨げる色んなものをなくしていく学習の毎日です。

組織的に戦略的にみんなを支えながら人事に対して職員のみを対象にするという思考を捨てさせました。
職員と家族を対象に含め、人間としての幸せを目的に考えるようになったのです。

当時の人事担当は日本人の女性で一緒に人事規則を変えていきました。
働きがいと生きがいが一緒になってこそ働く人間の生産性が変わり、地殻変動が起こるのです。
この、当たり前の事がわかるまで時間がかかりました。

幸せはふわふわしたソフトなものと考えがちですが、ハードなものです。

私は寝てる間に夢を滅多に見ないけれども一昨年の正月に日本の会社が人間の幸せを追求しているという初夢を見ました。
夢の内容は企業が関わる人間の幸せを求めてブレなく実行した結果、増収増益を続ける会社が民間企業の過半数になるというめでたいものでした。いい会社が今のような異端児的存在から主流になった夢です。母国日本の未来を案じて久しいからこういった夢を見たのだと思います。
為政者に幸福の追求を妨げられると国をだめにすると言われた世界史の教えが目の前で起きています。

3.11以降、日本で不安を抱く同胞がクレバスにはまってしまっています。
政治、行政の改革もありますが、世のため人のための変革は民間から生まれ、いずれ政治行政が後からついてくるものなのです。

『日本でいちばん大切にしたい会社』に書かれているのは会社か国かが異なるだけで国民総幸福量と同じことです。持続的な発展を経済成長を目的に据えるのではなく、幸福実現の一手段ととらえることで戦いを略す本物の戦略が生まれます。

会社が存続する意義を本気で考え、社員とその家族を路頭に迷わすことはできないと取り組んだとき、社員の幸せ感が全てを際だたせる無敵な競争力になります。

幸福を会社の目標にするのはあたりまえのことなのです。

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