いい会社の理念経営塾 石坂産業見学ツアー(1)新井さんバスガイド編2013年10月05日

NPO法人いい会社をふやしましょう主催の『いい会社の理念経営塾』現地視察編

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石坂産業さんは入間郡三芳町にある産業廃棄物処理の会社です。
かつて所沢ダイオキシン問題では問題の産廃業者として訴訟されたりもしましたが、地域と自然と共生していくことを目指して生まれ変わりました。
産業廃棄物処理業者というと高いフェンスで囲われていて中で何をしているかわからないという悪いイメージがありましたが、今日見学してみて意識がガラっと変わりました。

9:15 池袋西口公園に集合してバスで石坂産業さんへ向かいました。
実は石坂産業さんのあるくぬぎ山は家からも車で15分ほど、歩いても1時間ほどで着く場所だったのですが歩くには遠いという事で電車で池袋まで行きました。

バスガイドも出来る鎌倉投信のファンドマネージャー新井さんの勇姿が見たかったというのもありますが。


行きのバスの中では石坂産業さんのDVDを見ようとするもののモニターに現れたのはDISC ERRORの文字・・・バスガイド新井さんによる石坂産業さんの紹介と相成りました。

石坂産業さんは会社のほとんどの敷地が森林。とても産廃業者には見えません。
若くてきれいな女性社長が父親の跡を継いだのはダイオキシンの問題で叩かれている最中のことでした。
ニュースステーションで叩かれた当時、くぬぎ山地区で最大手だったのが石坂産業さん。
最新鋭の焼却炉を導入していたので大きな煙突がテレビに映しだされました。

地元の人から出て行けと言われたり、訴訟されたりしましたが東京から出てくるたくさんのゴミを焼却して小さくしてから夢の島に持って行っている。社会のためにやっていることなのになんでここまで言われないといけないのかとがっくりきていた父親を見て誰にも何も言われない会社になろうと、それまではネイルサロンでもやろうとしていた娘さんが社長に替わりました。
今ではネイルは自分でやっていないそうですが、社長のネイルにも注目してください。

それからはエコな会社になろうとしています。
産廃処理はトラックから下ろしたら水をかけながら分類していきます。この作業を囲った屋内で行うことで全て清浄化するようにしました。水は雨水と地下水だけを使って重機は鎌倉投信の投資先でもある日立建機さんと共同開発したEV重機です。

敷地には公園のような森林が広がっていますが、これは音を吸収する意味もあります。
この森にはニホンミツバチもホタルも住んでいて庭園もあります。

ニュースステーションの報道は誤報だったのですが、未だに石坂産業さんは風評被害による訴訟を受けています。

高野登さんと石坂産業さんに行った時、「伊那食品工業を超えているかもしれない」と言われました。
鎌倉投信やこのNPOの「いい会社をふやしましょう」というのは伊那食品工業さんの社是「いい会社をつくりましょう」の公式パクリ。塚越会長の許可を得た上でのパクリです。

伊那食品工業さんでは毎朝始業前から社員さんが集まって清掃活動を自主的にやっています。土日でもやっているので「どうして休みの日も清掃をしているんですか?」と聞いたら「気になっちゃうから。それに、汚いところをお客様に見せてしまうのは恥ずかしいし、時間があったから来ました。」と言われました。

石坂産業さんはマイナスからのスタート。あそこまでにしたのには想像を絶する会社です。
ここまで言うのに鎌倉投信はなんで投資をしていないのか?それは今は私からは話せません・・・。

石坂産業さんはとにかく教育が素晴らしい。おもてなしの気持ちがあるか社員さんの挨拶を楽しみにしていて下さい。でも、それだけではないんです。

ハウスメーカーが家を建て替える時、元々の家を潰します。解体は下請け業者に依頼し、さらに家を解体した瓦礫はトラックを使って産廃業者に運び込まれます。産廃業者はいらないものなのでいかに安く引き取ってもらうかが重視される商売と言えます。石坂産業さんはこのお客様にあたるトラックの運転手さんへの教育がすごいんです。

搬入マニュアルを見せてもらいましたが、事細かく決められています。
「挨拶をすること」「たむろ禁止」「アイドリング禁止」「タバコ禁止」守らない人は来てもらわなくていいと言っています。

それでも石坂産業さんへ運んでくるのです。なぜ?こんなにうるさい事をいうのに。

理由は2つあります。分別して持ってくると安く引き取ってくれるから。
もう一つは挨拶をするようになると家庭がうまくまわるようになるからだそうです。挨拶をすることで愛想がよくなって人間が変わります。人間力がつくことで家族からもお父さんが変わったと家庭円満につながるからです。

こんなの見たことがありません。

地域に愛される石坂産業でありたいと地元の野菜も販売しています。
産廃業者の近くで採れた野菜も汚いことはありませんというメッセージなのです。

いい会社の理念経営塾 石坂産業見学ツアー(2)石坂典子氏 講演2013年10月05日

石坂産業さんでは最初に石坂典子社長の講演をお聞きしました。

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 (1) 新井さんバスガイド編

実はツアーの前日に札幌にある日新堂印刷さんの阿部社長といい会社をつくるにはどうしたらいいのか語り合うミニ懇親会があったのですが、その中で社長が自分ワールドを強烈に意識し、そこに向けて本気で邁進した時、それが共感を生むものであれば周囲を巻き込んで大きな力になるのではないか?というように感じました。

たぶん、石坂社長にとってはマスコミの誤報によって追い詰められた時にどうありたいのか?というのを深く考えた時が本気のスイッチが入った瞬間なんでしょうね。自社の社員だけでなく、産廃を持ち込むトラックの運転手さんまでいい人に教育してしまうというのはちょっと普通では考えられません。普通じゃないところまで突き抜けたからこそ今があるんでしょうけれども。

工場見学もさせていただきましたが素晴らしい会社でした。

残念だったのは石坂社長の講演が30分で高野登さんの講演が60分だったこと。高野登さんのお話も貴重なのですが、最低でも45分ずつにして石坂社長のお話をもっと聞いてみたかったです。

資源リサイクルといえばアミタHDの熊野会長も強烈な個性をお持ちですが、お二人の対談をぜひ見てみたいと思いました。


石坂産業株式会社
 代表取締役社長 石坂 典子氏

いい会社という事で紹介をされましたが、いい会社だとは思っていません。
まだ発展途上だと思っています。

最初にギャラリーでは見ることができない当社の過去の経緯についてお話します。

父親がダンプを一台購入して解体業を始めたところから始まりました。当時はお台場が埋め立て中で、毎朝5時に100台近いダンプが集まっていました。リサイクル法もなかった時代で、まだまだ使える廃棄物がたくさんあることにどうだろうと感じ、昭和42年にはまだまだ野焼きをしていた時代にリサイクルを考えるようになり、チップのリサイクルなどをしていました。

その後練馬から三芳町へ移転しましたが当時は焼却炉を持っていました。
当時は焼却というのは廃棄物を1/10にする技術として評価されていたのです。

20年前にネイルサロンやりたいなと思いながらアメリカでブラブラしていた私に、父がそれではダメだと会社を手伝うように言われ、事務として入社しました。今は(石坂産業では)全天候型で処理していますが、多くの会社は露天でやっています。

なぜ当社は全天候型に切り替えたのでしょうか?

皆さん、ニュースステーションの所沢ダイオキシン報道を覚えていますでしょうか?
結果として誤報だったのですが、産業廃棄物処理施設反対運動が起こり、みんな悪い会社だと言われるようになりました。当時、くぬぎ山には焼却炉が60本ありましたが、今は1本もありません。

なぜ所沢に焼却炉が乱立したのかというと、関越自動車道も開通して都心からアクセスが良かったからです。当社がくぬぎ山では一番大きい工場だったのでバッシングをうけ、環境団体のターゲットにもなりました。今も石坂産業をインターネットで検索すると「石坂産業 訴訟」などが出てきます。

当時、ダイオキシン対策として15億円かけて新しいプラントを建設したばかりでしたので焼却炉を使い続けようとしました。

他の多くの会社はダイオキシン対策前の焼却炉だったので解体費の半分を行政が負担するということで解体の道を選びましたが、当社だけ対策済のプラントを持っていて建設から二年ほどということもあり、使い続けようとしたことが更なるバッシングを巻き起こす事となってしまいました。

そこで、この会社をどうしたいと自問しました。
この会社を続けていきたいと考え、そのためにはなんとかしなければと焼却炉を止める決断をしました。

当時、日量50tの焼却処理をしていましたので、全国の焼却施設に委託することにしたのです。委託をしても日本全国の目線で見ると変わらないのですが、所沢ではこの状況なのでなんとかお願いできないかとお願いしてまわり、助けていただきました。

そして、焼却炉を解体したのです。

次に「廃棄物を少なくする」から「再資源化」へ考えを変えました。

産業廃棄物を処分するとき「捨て場」と言われていました。産廃処理はとにかく安くできるか?が大事で安ければ安いほどいいというのが業界の常識でした。いらないものを処分するんだから安ければよいという考えです。

そこで当社では脱産廃屋を掲げました。

露天の工場を全天候型独立プラントに作り直すのに40億円かけました。
15億円かけたプラントを解体した後に更に40億円ものお金が必要になりましたが環境配慮型のプラントということで銀行の融資が受けやすかった時代背景も後押ししました。

焼却を委託した同業者にお前がそこまでいうなら社長になれと言われて社長になりました。
同業者の社長からはそんなにお金をかけて採算とれるの?高みの見物をさせてもらうよとも言われました。

認可をもらいにいっても、産廃業者に出す認可はないと言われ、翌日レコーダーを持って弁護士と一緒に認可局にかけあったりもしました。

産廃処理はきれいな仕事ではありません。産廃を破砕や燃やす時に埃がたちます。建設系廃材を引き受けているのですがリサイクルできるものは限られています。それでも手作業も含めて分別することで97%のリサイクル率を実現しています。

私が社長になる以前はノーヘルでサンダル履き、タバコを吸いながらの作業も当たり前で、従業員の質を変えたいとプラントだけでなく事務所を変えたいと社長(父)に言いました。

それで何が変わるんだ?と父に言われましたが「いい会社にはいい本社ビルを」という事で今の本社ビルを建てました。そうすると応募してくる人の内容が変わってきたのです。

最初はヌードポスターが事務所に貼ってあったり、エロ本がトイレにあったりもしましたが、自分が絶えず巡回してどんどん捨てました。他にも出物といってまだ使えるテレビなどを事務所に持ち込んで見たりしていたのも止めさせました。

家業から企業に変わろうとしていたのですが、やってらんねーよと4割くらいの社員は辞めてしまいました。その後、30代の社員をたくさん入れて今では当時を乗り切ってくれた社員に支えられています。

教育には仕組みが必要です。
ISO14001を取得しようとしましたが「そんなものはなくてもしっかりやればお客はついてくる」と父は言いいました。

ある日、チップを購入いただいているエンドユーザさんが見学に来られていてチェックリストを見たらISO14001がないだけで-40点にもなっていたのです。

それで中途半端はよくないとISO14001の環境、品質、労働安全の三統合を一年でチャレンジすることにしました。通常業務の後にISOの準備をしなければいけなかったので大変でしたが、やりきることができました。それにより仕組みづくりができたのです。

当時は挨拶もできない状態でしたので「品質の取り組みは挨拶から」という事を10年言い続けてきました。工場見学路から見ていただきますが作業に従事しているのは70名ほどおります。混合廃棄物を扱うため、基本は手作業でやっています。そういうところを見ていただきたいと思います。

少し自慢させていただきます。

混合廃棄物で最も処理しにくく不法投棄されにくいと言われています。

家を解体した後、更地になった土の中にゴミが残ります。これを漉き取ったものを持ってくるのです。中には紙や木なども含まれていますが名前が書いておらず、産廃業者の引取費用も高いので逆に不法投棄されやすいのです。

当社では他社が嫌がるここに特化しようとすべてオリジナルで重機もメーカーに作ってもらっています。オリジナルを作ってもらう代わりにメーカーに責任を問いません。メーカーと直接取引をしているので間に商社は入っていません。

廃棄物を分別と分級する技術があります。大きさだけでは分けられないので比重の違いを風や遠心力などを使って分けるのです。

リーマンショックの後で厳しかったけれども、同業者の廃棄物を受けるようになったら終わりと言われていた中、同業者からも委託を受けることにしました。他社が設備投資しなかったからこの分野では先行していたのです。今では40%くらいは同業者からの委託処理になります。売上は23億円から40億円に伸びました。

建物に処理施設を入れて中で悪いことしてるんじゃないの?という声があったため、それでは実際に見てもらった方がいいんじゃない?かということで2億円かけて見学通路を作りました。消防法の関係でアップダウンはありますが一日1万歩を目指して歩いて下さい(笑)

環境教育という事で学校の見学なども来られますが産廃を知らない子供が多いのです。人だけでは処理できない大変な仕事です。

産業廃棄物には土地を汚染するイメージがあります。
そこで、汚染していない証明に周り雑木林に公園を作りました。見学者に雑木林の公園を見ていただいたところ「あら素敵、もっと公開して」という声をいただいたので地元の方をイベントに招待したりもしています。

雑木林の周辺をきれいにしているうちに、うちの目の前に不法投棄していくようなこともなくなりました。また、公園できれいにしてくれるならうちの土地もやってよと周囲の地主さんから依頼をうけて今では5万坪ある敷地の2割が工場、8割が緑地になっていますが、緑地の多くは借りている(管理を委託された)土地です。

これもコミュニケーションなんです。
維持管理費がかかりますが散策路も作りました。

緑地を広げたらいいかげんにやってるんじゃないの?という目で見られるようになったので、里山の50年先まで生態系の保護をする活動を始めました。お配りした資料の中に生物多様性の保護や回復への取り組みの認証JHEPも取得しています。

雑木林に生息している生物が住みやすいように環境を整えたり足りないものを増やしたり守りかたを変えたりしています。

ISOについては6統合を目指しています。22301というBCP,事業継続についてもチャレンジ中です。

プラントで使っている機械についていい装置があっても人の管理が全てです。
そこでメンテナンスも自分でやるようにしています。これには技術を継承するためという理由もあります。100%機械を生かすため、新しいものを買わずに使えるように肉盛りしたり直すようにしています。

石坂技塾という社員教育は35のカリキュラムがあり、古い社員が新しい社員へ技術を伝承することもしています。