ファンド定点観測 2013年5月:ひふみ投信2013年06月06日

レオス・キャピタルワークスが運用するひふみ投信5月の運用を振り返ります。
6月4日に開催された5月度の運用報告 ひふみアカデミーの動画(Ustream)は こちら です。

■ 5月の運用と今後の見通し
5月を振り返ると20日までが上昇、23日から大きく下落しているがあまり心配はしていない
株価の変動は大きいが景気の回復は止まっていないため先行きは悲観していない
日経平均でいうと14,000円くらいがフェアバリューと考えている
株価はいつも間違っていてフェアバリューにびたっと張り付くわけではない
長期的になんとなく一致するというのが過去の結果
23日の大きな下落はマーケットを知り尽くした人の仕掛けがあったと思われる
機関投資家のロングの人は下がっても買いを入れるほど割安ではなく、株価の真空地帯だった
ひふみ投信も何も行動せず現金は13%のまま
今後は業績をきちんと予測できる会社が買われると考え、製造業に投資している
心理的にはこの急落でかえって相場の寿命が伸びたと思っている
年末の株価を当てるのは難しいがEPSは30〜50%伸びるというレポートもある

■ ひふみ投信の日次リスク(250日)の推移
 赤:基準価額
 :日次リスク(250日)

引き続きリスクは上昇傾向にあります

■ 過去3ヶ月の資金流出入
足元で株価が下がってもしっかりと流入が続いています

■ 2013年5月末現在の組入上位銘柄
株価が急落したコシダカは元々株価が上昇していたのもあり売っていたところで急落したため買いましてこのポジションだそうです。トヨタ、ブリジストン、ダイフク、日揮、信越化学工業と製造業がズラリ。

輸送用機器 6.35%→10.07%、証券・商品先物取引 2.30%→6.84%が目立ちます。

■ 概要
 過去1ヶ月  -1.96%
 過去1年   61.36%(R&I騰落率ランキング 152位 R&I安定性ランキング 11位
 過去3年   70.75%(R&I騰落率ランキング 13位  R&I安定性ランキング 10位)
 純資産総額  76.40億円
 組入銘柄数  75(前月比+6)
 株式比率   86.94%
 現金比率   13.06%


ファンド定点観測 2013年5月:結い21012013年06月08日

鎌倉投信が運用する結い2101の2013年5月を振り返ります。
参考資料は結いだより第39号です。(→ こちら

■ 今月の巻頭記事
今月の特集は先月新規組入れが発表されたコタでした。
美容室専用のシャンプーやトリートメントを製造販売しているコタは商品の販売だけではなく美容院に経営コンサルタントもしているとのこと。単なる製造業ではないんですね。
HPにある社長の挨拶にも「いい会社」に近づきたいという想いにこだわっていると書かれています。

■ 鎌倉投信のNISA対応スケジュール
2014年1月より開始される少額投資非課税口座(愛称:NISA)に鎌倉投信も対応することが発表されていましたが、対応スケジュールも公開されました。受益者向け勉強会も開催される予定だそうですので制度の利用を検討される方はお近くで開催された際に参加してみてはいかがでしょうか?

 2013年7月 NISA特設ページ公開
 2013年9月 NISA申込受付開始(予定)

■ 第4回「結い2101」受益者総会
8月31日に京都にある国立京都国際会館で開催されます。
午前はいい会社の社長講演、午後はソーシャルベンチャーの社長講演があります。
今年は受益者総会後に懇親会もありますので1日中楽しめますよ!

■ 5月の売買動向
まだ組入中のコタを買い増しした反面、株価が大きく上昇したデジタルハーツを一部売却していますが売買はあくまでもリスクコントロールの観点からのものとなっています。
株式組入比率は更に下がって56.4%になりました。
新規組入れはありませんでしたので引き続き41社に投資をしています。(非開示1社含む)

■ 顧客数
5月末の顧客数は5,470人でした。
また、65.8%の方が毎月積立をされています。

■ 結い2101の日次リスク動向
 :基準価額
 :日次リスク(250日)

250日リスクを見ると日本株の値動きの激しさが現れています。
設定来のリスクでも9.1%と結い2101が設定している年率10%以内のリスクの上限が見えて来ました。

■ 結い2101の資金流出入
順調に資金の流入が続いています
5月は約4.3億円の流入超でした。

■ 資産構成比
 株式  56.4%
 債券  2.3%
 現金等 41.4%


東証一部の比率は48.1%とだいぶ下がって来ました。東証二部が先月の4.7%から10.0%と増えましたね。
業種別の比率に大きな変化はありません。

■ 運用パフォーマンス
 過去1ヶ月  0.49%
 過去1年   35.92%(R&I騰落率ランキング 373位 R&I安定性ランキング 2
 過去3年   42.41%(R&I騰落率ランキング 95位  R&I安定性ランキング 2位)
 純資産総額  45.74億円
 組入銘柄数  41(前月比 変わらず)



NPO法人いい会社をふやしましょう 第二回「いい会社の力」シンポジウム(1) 基調講演 西水美恵子氏2013年06月08日

6月1日にNPO法人いい会社をふやしましょうの第二回シンポジウムに行って来ました。
『国をつくるという仕事』『あなたの中のリーダーへ』を読んでいたので元世界銀行副総裁の西水美恵子さんの講演が聴けるのをとても楽しみにしていました。
基調講演では西水さんの静かながらも心に訴えかけるパワースピーチに心のスイッチをぎゅうぎゅうに押されました。講演が終わった後の割れんばかりの拍手は会場にいた皆さんが同じ気持ちで心から拍手を送ったものだと思います。講演を聞いてここまで打ちのめされた気分になったのは初めてかもしれません。
とにかくすごい体験でした。

第二回「いい会社の力」シンポジウム 本物のリーダーシップ
基調講演 :本物のリーダーシップ
講 師  :西水美恵子氏 ソフィアバンク シニア・パートナー/元・世界銀行 副総裁
日 時  :2013年6月1日(土) 11:00〜14:20
場 所  :東京大学伊藤謝恩ホール
主 催  :NPO法人 いい会社をふやしましょう(→公式HP



「この世で不変なものは変化のみ」


ブータン先代国王 雷龍王4世の言葉です。
当時、世界銀行は大きな危機にありました。「50年でもう結構」という世銀を批判する世論にさらされていたのです。原因は草の根から遠く離れた世界銀行職員の仕事意識にありました。陛下に謁見していなければ挫折してリーダー失格となっていたと確信しています。

私は副総裁に就任したばかりで官僚的な組織文化を変えようと動き始めたばかりでしたが、組織内からの猛烈な反対やいじめ、いやがらせに悩んでいました。仕事意識を変えるのがどれほど難しい事かくじけかけていた時に謁見する機会に恵まれたのです。

雷龍王は在位34年間、自分がもし悪い王だったらどうするのだ?と国民の支持が熱い中で絶対君主の座を自ら放棄した方です。その信念、本気の勇気にふれた瞬間、私はこの世に怖いものはなくなりました。国も地域も組織も人間がつくっているものであり、即ち人づくりに尽きるのです。一人一人の成長が社会的な変革を生み出すことに繋がります。

私は自分がいなくなった後でも世銀になんらかの形で成長し続ける種をまく事を自分のミッションとしました。貧困解消をミッションとする世界銀行はいい国づくりをしようとするリーダーの補佐に徹する立場です。世界中のリーダーが私の先生ですが、その中でもただ一人の私にとってのメンターが雷龍王4世です。
今日の話は自分自身の人としてのあり方を重ねながら聞いてくれるとうれしいです。

世のため人のためと動くリーダーはまず自分に真っ正直です。バカがつくくらいに。そして、必ずなんらかに対して危機感を持っています。
絶対に小さなことも見逃さない、本気の危機管理が求められます。

国民総幸福という概念を考えたのも雷龍王4世です。
先週末にお会いしてきましたが、「いつの世も不幸な民が国家を不安定にする」「国民が幸福を追求することを可能にするという哲学で国を治める事は常識だ。当たり前の事をしてなぜ騒がないといけないのか」とおっしゃっていました。

そのような国政の動機はブータンが独立国家として末永く続くための危機感から生まれています。
ブータンの面積は約4万平方キロ。ほぼ九州と同じくらいの広さに東京の5%の人口が住んでいて北にチベット、東西南はインドと接していて世界1、2位の大国に挟まれています。
日本のように大洋に囲まれた国土に1億数千万人が暮らしている人にとって小国が大国に囲まれる事による危機感はわかりにくいと思いますが、雷龍王は「虎と象に挟まれた蚊のようなもの」と話されています。

国民の幸福を目指すのはブータンが生き残るための戦略でそれは即位直後から行った行幸で学んだものです。国王の行幸といっても想像するような楽なものではありません。ブータンの国の南側は海抜150~200mの亜熱帯ジャングルに覆われていますが、北は海抜7000m級のヒマラヤがそびえています。南端から北の端まで直線距離で約200kmしかなく、東京から越後湯沢くらいの距離しかありません。

南から北まで短い間にジャングルからヒマラヤ山脈まであっというまにせり上がりながら激流に刻まれた険しい土地ばかりで平らな土地はありません。そのような土地に1平方キロに17~8人程、日光が届く山肌を求めて散らばり住んでいるのです。

高所で酸素の薄い中、即位当時17歳の雷龍王4世はほとんど野宿で過ごされました。
一人でも多く国民の心を聞きたいという若い王の謙虚な姿に打たれ、なかなか胸を開かないブータン国民が胸を開いて国王と話しました。村人はどこにいっても王を自分の家に泊め、食事や暖をとり、寝ずに話し込んだのです。国家安泰という問題の根元を見つめ続ける時、見つめる対象は国民一人一人の幸せなのです。

谷間を歩きながら雷龍王は我が国の民は物は貧しくても心は豊かだ。しかし、経済的な豊かさが来たらこの国は滅びるだろうと考えました。当時、日本は高度成長期の真っ只中でバブルの狂気に気づかなかった頃です。雷龍王は先進国が抱える病を見通したといっても大げさではないと思います。

国民総幸福量という考えは国家安全保障戦略として生まれました。
小国にはふさわしい戦略で、失敗を繰り返しながら追求し続けたものです。

私は陛下の真っ正直な危機感を知った時、雷に打たれたような気持ちになりました。
貧困解消の為に存在する世界銀行の危機を頭だけで知っていたんだと悟った瞬間です。
自分もバカ正直にならないとリーダー失格だとその時感じ、やるべき事をひらめいたのです。

世界銀行の職員がこの危機感を深いところで共有しないといけない。ハートで鷲掴みにしてもらう為には何をしたらいいか考え、王の行幸をお手本にする事にしました。
私もかつて草の根で家族扱いを条件にステイさせていただくという体験をしていますが、これを世銀の職員にもしてもらうのです。

二つ目の教え リーダーシップはチーム精神

本気で動くリーダーは驕りを知りません。謙虚さは自然とチームを欲するようになり、リーダーは本気で動くチームを育むのが大切です。
ブータンから世界銀行のあるワシントンに戻り、貧村への住み込み体験を原点にすると発表したところミエコは気が狂ったと笑われましたが、一人だけわかってくれたのが民間企業出身の総裁でした。
彼は「お客様の目線というものをなりきるほど熟知しない会社は必ずダメになる。それは世銀も同じだ。だからやれ。」と言ってくれました。

総裁の後押しのおかげでやりたいことを理解してくれた部下数人が名前をつけてくれた。
VIP(Village Immersion Program) 貧村没入プログラムです。

第一回はパキスタンのNPOの支援をうけて実施しました。プログラムの実施にあたって寒村の理解を前提にしたステイだと説明にあがり、受け入れていただく家庭には更に詳細な説明を行いました。後日、村長から日程と受け入れる人数の連絡がありプログラムの参加者を決めることになりましたが、上司が変わらないと変わらないのが組織です。そこで、自分の部下の管理職は全員、一般職も男女半々を指名しました。
指名された人は様々な理由で行きたくないと言ってきました。「自分は貧村やスラムを視察してるから無駄です。」「自分はインドから来たからみんなより貧村の実態を知っています。」など・・・

彼らに同情はしましたが心を鬼にして参加しないならもう部下とは思わないと言いました。
それを聞いていやいや動き始める姿を見て副総裁の権力はいいものだと(笑)。
そんな風に思ったのは最初で最後ですが(笑)。

かわいい子には旅をさせろです。

1週間したら私が合流することになりましたが、合流するまで私は仕事が手に付きませんでした。
1週間後、夕方になると皆で集まって解決策を話し合っているという掘っ建て小屋に私が訪問した時、そこからは魂のどん底からくる笑い声が聞こえていました。彼らは挨拶そっちのけにエコノミストの課題はミエコにやってもらおうと言いました。そして続いて出てきた言葉です。



"This is not a life. This is just keeping body alive"
「これは人間が営む生活ではない。動物のようにただ体を生かしているだけだ。」



部下とボスが深いところで何かを共有できたと感じた瞬間でした。
私が初めてホームステイした時の報告の言葉の一部がそのまま帰ってきたのです。



お母さんは私に一日の仕事を話しました。
朝早く日の出前から水くみに出かけます。泉までは1時間。帰ってきてから子供たちと朝ご飯。お茶とパン一切れ。
ヤギに餌をやり、涼しいうちに畑仕事。自分で食べるだけの畑で売るほどの土地はない。
昼前に水汲み。昼の水汲みは暑くつらい。
お昼は子供にはお茶、自分は水。
午後は薪集めに。水があまってたら洗濯をする。夕方、三度目の水汲み。疲れて時間がかかる。
夕食は豆とパン。そして寝るまで話す。私はこの時間が好きだ。
これは人間が営む生活ではない。毎日毎日同じことの繰り返し。
君たちに想像できるか?毎日毎日死ぬまで繰り返し
これが私たちのお客様の暮らし。この生活を知らずに世銀で働く資格はない。
以前のミエコはもういない。



動かなければ死神が勝つ極貧の生活。
夢や希望などはなく、自分の時間が全くないのです。貧困解消をミッションにする世銀の職員は自分がどんなに無知だったのかを知り、罪悪感にうちのめされました。
「僕は何十年も何をやっていたんだ?できることなら時計を戻したい」とまで言いました。

そこから、自分たちで今どうにかしようという情熱が芽生えました。
専門分野が異なる12人からなるグループがお互いを思いやり、プロとしての観点を尊重して正直で率直な会話が始まりました。
1+1が2ではなく、万になるようなものです。
そこでは生きがいや働きがいが一致し、仲間との時間が待ち遠しい本物のチーム精神が芽生えていました。
目的は一つだけ。家族となった貧しい人々に仕えたい。サーバントリーダーが誕生しました。

ワシントンに戻ってからはチーム精神が飛び火を始めました。
部長、課長、局長が部下をVIPに送り出しはじめたのです。この体験を共有しない人とは仕事をしない、ビジョンが共有できない。嫌なら出て行ってもらうと本気で言いました。

類は友を呼ぶと言います。
その中には挫折者も出ました。こういうところにいたくないと去る人に対しては次の仕事の紹介もしました。

南アジア地域の予算会議が始まりました。
お金の奪い合いをする見苦しい会議です。でも、その時は様子が違いました。議長の私を無視してまず貧しい人々の目線から援助の大局を見直そうと部門を越えた会話が始まったのです。新しい戦略をたてて予算を0から組み直そう。部や局の境界線がなくなりました。

例えば教育部門の局長が村では水くみに一日のうち6-7時間を費やしていて自分の時間がない。
妊婦の健康管理のためにも読み書きが必要とインドの文部省も言っていたが、まず水道から整備してもらえないかとお願いするとうちの仕事じゃないそっぽをむかれた。そこで教育部門の予算の一部をインフラ部門にまわすので使ってもらえないかと。 

それに対してインフラ部門は確かに水道は大切だけれども水道では読み書きは教えられないよと答えます。
予算は局や部の境界にわけるのが無理だという事になり、チームごとに必要に応じてみんなでプライオリティ決めるシステムを作り上げました。

彼らから今までの態度が消えていたのです。これはVIP体験から半年後の出来事です。

3つ目の教え 逆さまになれ

世のため人のためと本気で動くため、人の身に真摯に重なることが大事です。
多様な人間の壁を越えて英知、信念と情熱の逆さま視点を育てなさいと言われました。

雷龍王の学友だった大臣が国王は若い頃から貧しい国民を思い、丸太小屋に住んでいたと話していました。
2700mのヒマラヤの麓に火の気なし住んでいたのです。草の根から遠いの位置にいたのでは悪い政治になると地方分権制度を進め、国王の持つ絶対拒否権を放棄しました。更には信任投票で国王をクビにできる国王弾劾法まで自ら制定し、自分で退位しました。

意識の変革が軌道にのりはじめたころ決心させてくれたブータンの王政は100年を迎えたばかりで民主化は雷龍王3世が1953年に即位してすぐに行われ、国会が開かれました。更に雷龍王4世は地方自治体をおいて国家公務員を地方に散らばせ自治体の育成に着手したのです。
1999年、ブータン2020プロジェクトが発表されました。
これは3年にわたって議論した結果出来上がった声明でこの中に国民総幸福という概念がありました。 

目標と手段を混同してはいけません。
経済成長が目標であってはいけません。
経済成長はあくまでも手段であり、幸福を実現するための非常に大切な手段の一つなのです。

幸せへの鍵はそれぞれ違うものですが、ある程度の消費満足と情緒的な満足からなっています。
幸福を可能にするために家族や友人を犠牲にするような経済成長は人間の住む国ではないという言葉から村人たちの声を聞いた思いがしました。私は組織の形を改革しようとした時にちょうどこのプロジェクトを読み、まず組織の草の根から編み上げるビジョンが大切と教わりました。

部下たちから私たちが夢見る世銀を作ったと一枚の絵が私に渡されました。
組織図がガラスの葡萄の房のように連なっており、お客様の房に部門ごとの実が重なり合いながらスカートを履いたミエコと書かれた女の子が走りながら抱えている絵です。

そうして組織の改革を始めました。
担当局長を現地に配置してほとんどの権限を委譲することにしたのに続いて現地採用をバカにするのをやめさせました。
これまで人事制度 職種、昇進、給与査定、休暇、退職金など様々な点で現地採用と本部採用の職員に格差があったものを現地購買力を給与査定に加味はするものの本部職員との無意識差別を消していったのです。
職員たちが嬉々として取り組んでくれた学習の毎日でした。

リーダーシップとは本気に尽きるのではないか?
そこからモノの尺度では貧しいが、豊かであるという国民との間に信頼が生まれます。

ブレのないリーダーと国民との絆。

私が雷龍王4世を師匠に世銀改革を始めたある日、優秀な女性職員が元気がなくなっていたのに気づきました。話を聞くと小学生の息子の成績が下がってしまい、海外出張をするたびにおねしょをするのが心配で世銀を辞めようと思っていると言いました。そこで私は出張に息子さんも連れて行ったら?息子さんの分の費用は副総裁費用から出すからと言いました。

ある日、小学生の息子から出張報告書が私宛に届きました。
そこには「お母さんが飛行機で飛び立った後のことがわかってとてもうれしい。インドの貧しい人のために頑張っているお母さんを僕は誇りに思う。自分もたくさん勉強してお母さんのようになりたい。」と書いてあり、泣いてしまいました。その子は出張についていった後、おねしょも止まり、成績もあがったのです。

この一件で世界銀行のビジョンを職員と頭で共有している一方で、職員が本当に欲しがっているものにつながっているだろうか?と気づきました。仕事が待ちきれない気持ちがある一方で、帰宅と週末が待ちきれない家庭も職員にはあるのです。
また私の本気のスイッチが入り、職員と家族の幸せも求めるようになりました。

この改革をどうやったらいいんだろうと熱く話し合い、すぐさまできることから行動を始めました。
プロフェッショナルとしての行動を妨げる色んなものをなくしていく学習の毎日です。

組織的に戦略的にみんなを支えながら人事に対して職員のみを対象にするという思考を捨てさせました。
職員と家族を対象に含め、人間としての幸せを目的に考えるようになったのです。

当時の人事担当は日本人の女性で一緒に人事規則を変えていきました。
働きがいと生きがいが一緒になってこそ働く人間の生産性が変わり、地殻変動が起こるのです。
この、当たり前の事がわかるまで時間がかかりました。

幸せはふわふわしたソフトなものと考えがちですが、ハードなものです。

私は寝てる間に夢を滅多に見ないけれども一昨年の正月に日本の会社が人間の幸せを追求しているという初夢を見ました。
夢の内容は企業が関わる人間の幸せを求めてブレなく実行した結果、増収増益を続ける会社が民間企業の過半数になるというめでたいものでした。いい会社が今のような異端児的存在から主流になった夢です。母国日本の未来を案じて久しいからこういった夢を見たのだと思います。
為政者に幸福の追求を妨げられると国をだめにすると言われた世界史の教えが目の前で起きています。

3.11以降、日本で不安を抱く同胞がクレバスにはまってしまっています。
政治、行政の改革もありますが、世のため人のための変革は民間から生まれ、いずれ政治行政が後からついてくるものなのです。

『日本でいちばん大切にしたい会社』に書かれているのは会社か国かが異なるだけで国民総幸福量と同じことです。持続的な発展を経済成長を目的に据えるのではなく、幸福実現の一手段ととらえることで戦いを略す本物の戦略が生まれます。

会社が存続する意義を本気で考え、社員とその家族を路頭に迷わすことはできないと取り組んだとき、社員の幸せ感が全てを際だたせる無敵な競争力になります。

幸福を会社の目標にするのはあたりまえのことなのです。

NPO法人いい会社をふやしましょう 第二回「いい会社の力」シンポジウム(2) パネルディスカッション2013年06月08日

6月1日に開催されたNPO法人いい会社をふやしましょうの第二回シンポジウムの第二部パネルディスカッションです。テラ・ルネッサンスの鬼丸さんとHASUNAの白木さんのお話しは初めてでしたのでとても楽しみにしていました。
皆さん本気のスイッチが入った時に想いから行動に移されていて、まだ行動に移ることができていない自分からすると眩しい方達ばかりです。お話を聞いてとても刺激を受けました。そして自分の中でどうしようかという悩みは深まります・・・。

第二回「いい会社の力」シンポジウム 本物のリーダーシップ
パネルディスカッション:リーダーシップの原点
パネリスト:西水美恵子氏 ソフィアバンク シニア・パートナー/元・世界銀行 副総裁
      鬼丸昌也氏 NPO法人テラ・ルネッサンス創業者
      白木夏子氏 HASUNA Co., Ltd. 代表取締役
      新井和宏氏 鎌倉投信 取締役運用部長
コーディネーター:大久保寛司氏 人と経営研究所 所長
日 時  :2013年6月1日(土) 11:00〜14:20
場 所  :東京大学伊藤謝恩ホール
主 催  :NPO法人 いい会社をふやしましょう(→公式HP

大久保:
最初はまずパネリストの皆さんから順に自己紹介を

新井:
鎌倉投信のキャッチフレーズは「いい会社をふやしましょう」
伊那食品の社是「いい会社をつくりましょう」からいただいたものです。
金融機関としての他にこのNPO法人のような活動も行っています。

銀行や証券会社で販売されるような投資信託を扱っている会社がなぜこのような活動をしているのかについてお話します。

私たちの本社屋は築80年の古民家で2008年11月まさにリーマンショックの直後に産声をあげました。
私たちが目指すのは「日本をあきらめない」これに尽きます。
日本には「いい会社」がたくさんあります。
坂本先生の書かれた『日本でいちばん大切にしたい会社』を読んでこれを私の使命としました。

なぜ本社が古民家なのか?それはつべこべ言わずに日本で大切にしたいものは自分たちでも動くと決めたからです。本社屋の裏には畑があり、山もあります。また、本社は様々なことを伝える場でもあります。

3つの「わ」 和 話 輪 の場所を提供することも鎌倉投信の役割です。
NPO活動含めて22世紀のための投資を行っています。

つながりを大事にしているので受益者総会という対話の場を設けました。
他にもいい会社への訪問(見学)も実施しています。

日本は課題先進国だと思っています。
社会的課題というのは問題ではなく課題である以上解決する必要があります。

投資先の会社としては震災の後、見事な現場力を発揮したヤマトHDや障碍者雇用を本業で行っているエフピコ、更にはトビムシという会社にも投資しています。トビムシは社債の格付けもつかない小さな会社です。でも。格付けを信じてもなんにもならない事をリーマンショックは示しました。大事なことは自分が見たものを信じるという事です。

大久保:
新井さんは二度と戻らないと考えていた金融に帰ってきました。
「数字は真実を語る」というのは嘘。しかし、目の輝きは嘘をつきません。
初めてお会いした時、新井さんの目は輝いていました。

鬼丸:
2001年10月大学4年の時テラ・ルネッサンスを始めました。
国内に8名、海外含めると50名程で活動をしています。
活動地域はウガンダ、コンゴ、カンボジア、岩手。

活動資金の8割は寄付などによって得ています。
私たちは子供兵や被災者の社会復帰、立ち上がるサポートをしています。
なぜできるか?
自分には何もできないから。英語もできないけれども伝えることはできると講演活動から始めました。
自分が何も出来ないと出来る人が寄ってきてくれるんです。支援を受けてくれる人もそうです。
みんなで世界を変えたいのです。「自分が」ではありません。

大久保:
鬼丸さんは21歳で地雷の世界を知り、ウガンダに出かけました。
ウガンダは外務省で危険地域に指定されているところでしたが、鬼丸さんはそこで3つの職業訓練校を作りました。
銃を突き付けられたこともあるそうですが、笑顔で手を振っている人は撃てないものなんですね。だからといってマネはしないでください。
彼だからできたんです。彼には本質があるんです。
何もしていないと話していましたが、その通りに聞いてしまってはダメです。
本当にぼーっとしているだけではこれだけのことはできません。
ぜひ鬼丸さんの人間を感じて欲しい。

白木:
2009年にジュエリーの制作販売をするHASUNAという会社を立ち上げました。
取り扱っているのはエシカルなジュエリーで、エシカルというのは社会と自然環境と人に配慮したという事です。

婚約指輪なども作っていて鬼丸さんもうちのお客様です。
ジュエリーがお客様に届く前、職人さんが作っているのと発展途上国の鉱山で採掘されているという事は知られていますが、その間についてはほとんど知られていません。
鉱山から日本に来るまでがブラックボックス化されていて、その間に密輸や児童労働 紛争など様々な問題が起きています。

南インドにあるタミール州のアウトカーストの村で暮らした事があるのですが、インドにはアウトカーストと呼ばれる人間扱いされない人たちが約1億人います。私がステイしていたのは鉱山労働者の村で、一日中働いてもほとんど賃金はもらえないような状況で5~6歳くらいの子どもも働いていました。
彼らの平均寿命は短かく、過酷な労働条件でした。そこでは雲母や金といった私たち先進国の人の生活を豊かにするものの中に使われている鉱石が採掘されていましたが彼らとのギャップはなんなんだろう?私がやらないといけないんだろうなと思いました。

帰国してからNPOやNGO、国連、更にはビジネスを勉強する中で金融にも身を置きました。
いよいよジュエリーを直接買い付けするという構想を実行に移すにあたってどうしたらいいかわからないので御徒町の卸に行きました。

御徒町に行ってもこれがどこで採れた水晶やルビーなのか知らず、それが常識だという対応でした。
数十円の野菜の生産者の顔が見える一方で値段の高い宝石の生産者が見えないのが疑問視されない業界がおかしいのでは?と感じました。業界の常識にのっとっていては仕入れはできないとNGOなどにいる知人のツテで鉱山のオーナーや職人さんを紹介いただきました。

例えばパキスタンの砂漠民族が採掘で生計をたてていますが、その90%以上は密輸されています。
安く買いたたかれ、中国産、アフガニスタン産として販売されているのです。
現地にいったJICAの方やマイクロファイナンスをやっている知人との縁もあって彼らを紹介してもらい、直接取引ができるようになりました。

イスラム世界で女性が仕事をするのはとても難しいことで、彼女たちには仕事がほとんどありません。
そこで、宝石の研磨を彼女たちにしてもらい、買い付けをしています。
美しさというものはお金でつくれるものだけではなく、内面から輝くものだと思います。

取り組みを始めてから2年がたち、ちょうど6月から彼らの商品の販売を開始します。
最初は研磨のクォリティーも低かったのですが、1年半かけて日本の百貨店に並べられるクオリティに育ちました。

そうしてお金の循環を生み出し、目指す姿を少しずつ実現していっています。

HASUNAのジュエリーは世界中の関係者が笑顔でいられることまでデザインしています。
鉱山からお客様にお渡しするまでのすべての人の笑顔がデザインなのです。

大久保:
西水さんの講演を聞いた感想を

鬼丸:
一番前の席はエネルギーが来ますね。
大久保さんに本物にはふれないとだめだと言われましたが、色んな方の話を聞きながら見ているのはどんな姿勢で聴衆と向き合っているのか?ということ。
西水さんには本気を感じました。自分には足りないとへこんでいます。

大久保:
本に講演の100倍の情報が詰まっていても直接波動をうけないといけません。
見えない世界の方がはるかに広くて深いのです。
直接ふれることの大切さを感じてほしい。

新井:
淡々とした話で想いを伝えられる姿を見てリーダーとはこうあるべきと感じました。

白木:
目の前で気をうけました。
世銀スタッフのお母さんとお子さんの話にすばらしい姿勢を感じました。
そこまで上の人が考えてくれているとついていかざるをえないなと。

大久保:
おねしょは悲しみの象徴。本質を対処しないといけない。
お母さんはすごいと知ることで止まったんだと思います。

西水:
メンターが「なんであたりまえのことを言っただけでなんで喜んでくれるんやろな?」と言っていました。
嬉しいのはエネルギーや知恵を受けてくださり、自分なりに成長してくれる人が出てくること。
正直に話してよかったなと思います。
悲しいのは自分の成長の糧になっていないリーダーがいるということ。

リーダーは必要とされると終わり。
本当のリーダーシップはなくなっても大丈夫という社会であり関係であり組織。

Q
障碍者の雇用について世界ではどうなのか?

A
西水:
その分野には明るくないので新井さんから

新井:
日本は障碍者に隔離する政策をとっていたので100人に5人いるのにそんなにいるように感じません。
海外は隔離をしないノーマライゼーションが進んでいます。

日本の場合は障碍者雇用率は形式上の話であり努力目標。実質的な雇用がされていません。
しかし、海外でも誇れるモデルの一例としてエフピコがあります。
障碍者が早く月曜がこないかなという働くことへのモチベーションの高さは海外に対しても誇れることです。
障碍者雇用の世界で北欧が進んでいるのは間違いない事実ですが、Kaienという会社が北欧モデルを国内に導入しようとしています。

大久保:
ISFネットという会社は2400人のうち1000人弱が就業弱者。
匠カフェという障碍者が働くカフェも運営していてインドと韓国にも国からの要請で匠カフェがオープンします。
障碍者も成長できるというモデルとして。

Q
頭とハートがつながるとおっしゃっていましたが行動になかなか起こせないでいます。
皆さんにとって頭とハートがつながった瞬間を教えてください。

A
白木:
これまで散々迷ってきました。26歳までは貧困問題を解消したいととにかく色々と動いていました。
NGO、NPO、国連など・・・。
当時はやりたいことは大きくて頭でっかちになり、行動しても空回りしていました。

全部がつながった瞬間というのは次のことを考えた時でした。
回想したら母がファッションデザイナーでものづくりに携わりたいと考えていました。
おばあちゃんからもらった大切なジュエリーにはいくら出されても売りたくないお金ではない価値があるとも思っていました。

そういった想いのこもるジュエリーの裏に困った人がいるのはおかしいのであないか?
自分しかそういう発想にはならないだろうというこれらがつながって今のジュエリーのビジネスになりました。

自分がそこに気づいた時、そこから先は迷いなく歩むことができました。

大久保:
直接の体験というのはとても大切。
実際に体験してみるとひらめくものがあります。
座禅でひらめいたのは勘違いの可能性がある。

鬼丸:
いろいろ苦しんでます。今は円安にも。
でも、自分ではやめないと決めています。
そしてやるとも決めています。それはありえない事だと思いますが皆さんがテラルネッサンスの活動の支援をやめてしまったとしても、例え一人になってもバイトしてでもやるという事です。
なぜかというと自分そのものだから。これ以外にやることが思いつかないのです。

なぜそうなったか?というと人との出会いがあります。
ダイエーに行くにも車で40分かかるような田舎の家庭環境で育ちました。
そこはみんなの協力がないとなにもできない環境でした。
自分にできなくてもたくさんの人とやるとできるというのは小さなころに身に付けたのだと思います。

大久保:
鬼丸さんになぜするんですか?と聞くと「他にだれもやらないんで僕がやります」と答えました。
しかも「僕って幸せでしょう 人のお金で自分の好きなことをやっていて。」とまで。

新井:
自分は前職でストレス性の難病にかかって開き直りました。自分はもう終わったと。そうしたら尽くしたいと思うようになりました。
母親が障碍者でふつうに側にいて不自然に思えていました。買い物につきあうだけで近所の人にほめてもらっていた事を思い出してお金って冷たいじゃなくてあったかくて必要とされるものでなくてはいけないと気づきました。

私じゃなくてもいいけど、自分がそこにいて気づいた。だからやっているという感覚です。
これが社会にあれば。

Q
リーダーシップは信念だとおっしゃられていますが、自分が消えてもいい組織を作るとは

A
鬼丸:
私たちはオーナーシップという言葉を使っています。
オーダーメイドとオーナーシップ。
一人一人に寄り添わないといけないという事と決定権があるという事。
自立と自治に、安心して生活できることを。
自分らしく生きるきっかけを提供しつづけます。

白木:
自分はリーダーとして頼りないと思いながらやっています。
引っ張っていく感じでもない。
一番大事にしている事として、目指す方向は示すようにしています。
5年後、10年後にどういう世界をつくっていたいのか?
全員にシェアしています。
桃太郎も明確なミッションがあったので
一つの言葉で表して浸透させることが大切だと考えています。

新井:
感謝の気持ちが前にでている方、自分はなにもできない、周りがすごいとおっしゃるのが共通しています。
他人事にせず、自分ごとにすることも大切だと思います。

西水:
ここにいる皆さんは変わり者だと思います。
自分で自分を引っ張りはじめています。
リーダーとは自分で自分を磨き始めるプロセスで輝きだすのです。
リーダーについて書かれた本は世の中にたくさんあるけれども、読んでもどうしようもないことだと思います。

自分自身で耳を傾け、自分の目の奥をまっすぐ見つめる雰囲気があれば開拓できるのでは。
リーダーの条件として、自分の欲望のために動いてしまったらリーダー失格です。
少しでも自分の為にという事を部下が感じたらやる気がなくなります。

本物のリーダーシップとはなんでもその人たちの目線に近づいてためにになりたいと本気で思うことから始まります。

大久保:
本物のリーダーシップとはなんでしょう?
リーダーシップというのは日本にない言葉です。
例えるならば村の長。
人を幸せにするのがリーダーの役目でそれがたくさんできれば素晴らしいリーダーシップです。

リーダーには組織をまとめる事や部下が必要と思っている人がいますが、たった一人の人がいればそれでよいのです。

村の長も村人全体の幸せの為のまとめ役です。
自分は大したことをしていないという人がすごい人。
本当になんにもしていない人もいますが・・・

香川塗りの職人さんの仕事を見ていると説明をしてくれました。
1回の塗りは0.03mmを何十回も塗るのに対して安物で塗が剥がれてしまうようなものは2-3回しか塗っていないと言っていました。
本当の強さというものは積み重ねから生まれます。

Q
反対する人が出てくると思いますが接し方、処遇の仕方を聞かせてください。

A
西水:
それぞれがそれぞれの理由で反対しています。
声をあげてくれるのはありがたいことです。意見を聞くように努力すると、そこからわかってくることがあります。
逆になにも言ってくれない人の方が怖かった。話せない環境を自分が作ってしまったと気づき、ミーティングは楽しいものをするように変えました。
最後に議長がサマリーを話す後に何もも言わなかった人に今日のミーティングについて聞いてみます。
まさに沈黙は金。最後にすごい意見が出てひっくりかえったりもします。 

白木:
意見をみんなが持っています。言ってくれるのはありがたいこと。
喧嘩をしようよと言っていて、そこからヒットは生まれると思っています。
そこで、意見を言いやすい環境を心がけて黙ってる子は気をつけるようにしています。

鬼丸:
そうですねとまず言います。
そして、少したって忘れたころに私はこう思うと話すと意外に受け入れてくれます。

新井:
自分の視野ではないことを言ってくれる貴重な意見です。
何が足りないんだろう?自分の考えを磨いてくれる存在と愛を感じて聞くようにしています。

大久保:
環境、条件をつくるのがリーダーの仕事。
西水さんはスタッフに変われと言うのではなく、体験させました。
多くの人は指示で変えさせようとしています。
大事なのは環境をどう整えるかです。

原石を磨くと光ります。
人にもいろんな原石があっていろいろ輝けます。ただし、磨けばの話。
人との出会いでも自分を磨くことができます。

北海道きりたっぷヤマジュウ訪問ツアーに参加しました2013年06月13日

6月8日に被災地応援ファンドで応援している浜中町霧多布にあるヤマジュウさんの訪問ツアーが開催されましたので参加してきました。
先に企画されたJTBさんのツアーが最低参加人数に達しなかったため現地集合、現地解散のツアーになりましたが8名の方が参加しました。釧路駅で集合し、工藤社長の運転するレンタカーで霧多布へ向かいます。途中、私の出身地厚岸の道の駅で一休み。


厚岸からは北太平洋シーサイドラインを通って霧多布へ。浜中町に入るとイギリスのウェールズ地方のようだと言われる穏やかな丘陵に広がる牧草地と太平洋に向かっての断崖が見えてきます。津波の状況を見てもらうには霧多布の地形を見てもらった方がわかりやすいという事で琵琶瀬展望台から霧多布市街を臨みます。

霧多布は浜中湾と琵琶瀬湾に挟まれた陸繋島でトンボロ(陸繋砂州)の部分に霧多布市街があります。
霧多布はこの浜中湾と琵琶瀬湾の両方から津波が押し寄せました。
かつて津波で大きな被害を受けた霧多布は市街をぐるりと防潮堤で取り囲んでいますが、ヤマジュウさんの加工場は防潮堤の外側にありました。


地震の後、霧多布の人たちは高台へ避難をしていました。工藤社長も高台に避難をしましたが、まさか三陸を襲っているような津波が霧多布まで来るとは思ってもみなかったといいます。大丈夫だろうという軽い気持ちで避難をしていた工藤社長は夜になって念のため防潮堤の外に出て会社を見に行きました。

防潮堤の中に入って何かおかしいと気付き、実際に加工場シャッターがひしゃげている姿を見て「嘘だろ・・・」と。建物の中はぐちゃぐちゃになっているのが見えたので「終わった」という思いとこのままここにいたのでは危ないという事で再び防潮堤の内側に戻りました。たまたま外出先で地震にあったため、そのまま高台に避難していた工藤社長ですが、もしも地震の時に加工場にいたら心配でそのまま残っていて津波にのみこまれたかもしれないと言っていました。

翌朝、再び加工場に来てみると夜の間にも再び津波が襲っていたようで目の前に漁船が打ち上げられていたり、コンテナがシャッターにめり込んでいたり夜に見に来た時よりも状況は悪化していました。
出荷を待つ在庫や原料なども水に浸かって使い物にならなくなり、機械も見た目は大丈夫でも海水に浸かったために動かなくなっていました。(被災当日の写真は被災地からのレポートにアップされています)


まずは札幌の直営店で入っていた予約をキャンセルする対応を始めたところ「お前のところのじゃなきゃだめなんだ」「何か月でも待つから」と予約をそのままに復興を応援してくれるお客様の声に支えられました。その声がずっと頭の中に残って工藤社長はとにかく復興しようと決意をします。この時は国などの復興支援策が出てくるだろうからなんとかなるのではないか?という気持ちだったそうです。


ところが大災害となった三陸と違って北海道は被災地として認定されることはありませんでした。
ここから工藤社長の復興に向けた孤独な戦いが始まります。


国や道に支援策をかけあっても相手にされず、三陸と違って地域として大きな被害が出たわけでもないため地元の金融機関も支援に対して乗り気ではありません。ようやく融資のメドがつきかけた協調融資の話も既存の借入を理由に断られてしまいます。どうにかして支援を受けられないかインターネットを使って情報を集め、国や道、政党、議員とあらゆるところに声をあげてもうまくいかないうちに奥様が大病に罹ってしまいました。(ツアー当日は奥様も見えられ、元気な姿が見られて良かったです)

いよいよ年内の倒産を覚悟し、親戚からも「この状況でバンザイ(お手上げ)しても誰も責められない」と話されてもずっと頭の中にお客様の「お前のとこの魚でないとだめなんだ」という声が残っていたといいます。


そんな時ミュージックセキュリティーズの被災地応援ファンドの事を知り、三陸地方向けの仕組みだろうと思いながらも電話をしてみるとすぐに状況を確認しに来てくれました。現場を見てもらい、ファンドを立ち上げましょうという事になり、それからは仕事が終わった後に電話口で話ながら復興に向けた計画を作成しました。

半分寄付になり、しかも残りの半分も売り上げに応じた返済でいいなんてこんな条件のいい話は本当にあるんだろうか?と半信半疑になりながら始めたファンドですが多くの方に出資をいただき、復興へ向けて絶対に必要だったドイツ製の真空機も購入できました。

それまでは札幌の店においてあった小型の真空機でどうにか真空パックしていたのですが、もう手に入ることはないだろうと半ばあきらめていた機材をファンドの資金で購入することが出来たのです。
この機械が届いたときは本当にうれしくて泣いてしまいました。その時の涙の意味は息子もわかってくれると思いますと話されてました。


工場の中の一番小さなエリアで鮭の焼きほぐしを作っていましたが、昨年北のハイグレード商品に選ばれたこともあり引き合いが多数来るようになりました。ただ、冷蔵施設がないため作り置きができず暖かい季節になると発泡スチロールの箱に氷を入れて積み上げるなど工夫しながらの製造が続きました。

ファンドを募集する際、まずは被災前の1/3の規模で復旧を目指す事にしましたがその後いろいろな方の尽力により北海道の他の地域で被災された事業者と一緒にグループ化補助金を受けられることになりました。ファンドの資金はグループ化補助金を受けるための自己資金としてみなされます。

補助金を使って機材を再び購入できるようになってからがまた大変で、いつまでに納品してもらわないと困ると言われたり、バタバタしながらも新しい機材の設置と調整が先週完了し、加工場の中も見学ツアー当日の朝までかかって片付きました。

被災前と同じ規模で生産できる体制になり、ようやく復興に向けたスタートラインに立てたという気持ちの反面、グループ化補助金は大きな被害を受けた三陸地方の方の犠牲の上に成り立っている制度だという事が心にささるようになりました。本当に自分がこの制度を使っていいのだろうかという気持ちが今でも残っているとおっしゃられていました。


ヤマジュウさんの加工場は本当に海が目と鼻の先にあります。
津波にやられた部分の壁は修復してツートンカラーになっています。これを見ると防潮堤のギリギリまで津波が襲っていたことがわかりますね。


そしていよいよお待ちかねの時不知鮭のちゃんちゃん焼き。
息子さんがおこしてくれた炭火の上にしいた鉄板に豪快にいきます!


軽く焦げ目がついたら皮を下にして野菜を投入します。
この時点で見るからにうまそうです!


続いて工藤社長特製の自家製味噌だれを塗っていきます。


これまで食べたことがないような身の柔らかさと旨味に驚きました。
味噌もほどよい味付けで野菜と鮭の身を食べながらビールが進みます。
もともとちゃんちゃん焼きは漁師が飲みながら食べる料理で最後は焦げた皮を健康に悪いね〜とか言いながら食べていたものだそうです。


ちゃんちゃん焼きだけではなく、花咲ガニも一人1杯いただきました。
お腹一杯だったので二人で一杯にしておきましたが、こちらも美味しかったです。

他にも時不知鮭の切り身(何もつけずに味わってもらうため)、三平汁とどう考えても胃袋が一つでは足りない豪華な料理を堪能しました。社長の二人のお子さんも炭火をおこしたり料理を配ったり手伝っている姿を見て偉いな〜と思いました。


三陸地方の被災事業者さんと違って周りには同じような境遇の事業者がおらず、自分で情報収集や交渉をしないといけなかった孤独、そして国や道には見捨てられた被災地で生き残りを模索する絶望感は相当なものだったと思います。


そんな中、工藤社長はさけます漁船の乗組員が命をかけてってきた魚を妥協することなく美味しくすることに本当にこだわり続けました。どこでどんな状態で魚がれたのかまで把握した上で本当に美味しい魚を更に美味しくなるように手間を惜しまず加工していきます。それは100年以上にわたって漁師が命を落としながらも捕ってきた魚に対して網元として精一杯真摯に向き合った結果なのだと思います。

工藤社長のお話を聞いていて自社の製品にかける想いと誇りに打たれたと同時に自分は自社のサービスにそこまで誇りを持てているだろうか?と恥ずかしい気持ちになりました。


お土産に北のハイグレード商品にも選ばれた霧多布時不知鮭焼ほぐしをいただきました。

鮭のフレークは通常であれば身を塩水につけるのですが、それだと旨味が逃げてしまうため手間を惜しまず塩をふりかけています。振りかける塩の量も切り身200g毎に変えている!というこだわりようです。水産加工場というよりも厨房ですね。

焼鮭をほぐしただけというシンプルな商品ながら本当に美味しいんです。
工場にも新しい機械が入ってようやくスタートラインにたったヤマジュウさんの復興をこれからも応援しつつ見守っていきます。

北海道網元浜中丸サケファンドは1口10,500円から現在も募集中です。