セキュリテナイトレポート(2) マルニ木工(2012.09.14) ― 2012年09月22日
マルニ木工 山中社長
当社では「100年経っても『世界の定番』として認められる木工家具を作り続ける」という言葉を掲げて仕事に取り組んでいる。
創業者は宮島で生まれ、昭和5年に床と畳しかなかった日本の住宅文化を高めたいという志をもって「工芸の工業化」を掲げて創業した。戦中は細かい精度が求められる戦闘機の尾翼を木で生産したりもしていた。その頃にはミリ単位の加工を行うようになっていた。
戦後は量産化を進め、昭和43年にベルサイユシリーズを作ってヒットした。
1980年代に入ってメーカーの枠を飛び出し、商社機能をもたせたりインテリアの総合サプライヤーを目指した。1988年にマルニ木工からマルニへ。総合インテリア販売へと軸足を移したが、1993年にグループ全体で300億円の売上をピークにバブルが弾けてから売り上げダウンに歯止めがかからなくなってしまった。
当時、自分たちはメーカーなのか?商社なのか?とよく言われた。
先輩方からの自分たちはメーカーだろうという言葉を受けて国内外にあった工場を1ヶ所に集約、マルニ木工に戻した。
リストラも行い多くの先輩方に去っていただき、2006年にはデオデオの地域再生ファンドから出資を受けて再生に取り組んだ。
1年ほどで地域再生ファンドからは卒業させていただき、規模はピーク時の1/10以下になったがようやく生き残るめどがついた。
外部のデザイナーさんを探している時に深澤直人さんが当社の優れた加工技術を評価してくれ、一緒に仕事をしてくれるようにお願いした。(INFOBARなどをデザインされた方です)
当社には職人の技を数値化するプロがおり、機械を使って人の手のように削っていく。(ただし、仕上げは職人の手作業)
機械メーカーが壊れるはずがないと言っていた機械が壊れてしまい、見てもらうとこんなに縦横自在に動かしているところは他に見たことがないと言われた。
出来上がった商品名はHIROSHIMA
中田英寿さんも当社に来てくれ、社員がとても喜んでいた。
他にもイギリスのMONOCLEも取材に来てくれ、東京にあるMONOCLEカフェでも当社のHIROSHIMAをたくさん使っていただいている。
19年ぶりに売上が増収へ転換した。
東京での展示会のコンセプトは「みんなで文化祭をやろう」。当社の歴史なども展示したところ来場者からの感想に「感動しました」という言葉をたくさんいただいた。
シンガポールのラッフルズホテルなどでも当社の家具は使われている。
マルニ木工は家具の世界へ出る初めての日本企業となるべく頑張っている。
マルニ木工ファンド2012はこちら
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